「おや、目を覚ましたみたいだね。おはよう。」
麗奈ちゃん……と呟きかけて、その声がやけに低く響くことに違和感を覚えた。私が目を覚ますと、そこは部屋のベットの上。
眩しい朝の日差しが私の眠気を焼いた。思いっきり息を吸い込むと、柔らかな木の匂いで満たされる。ついさっきまでのカビ臭さが嘘のようだ。
あれ?私図書館にいたはずじゃなかった?
目の前には、剣を持った少女がいた。鼻筋の通った凛々しい顔立ち。日光の元で淡く反射するブロンドの髪は、女である私でも思わず息を呑んだ。
「びっくりしたよ。家の前で倒れてるんだもの。でも、その様子だと大丈夫みたいだね。」
「あ、あの……。」
しばらく見惚れた後、私は至極当たり前の質問を思い出し、尋ねてみる。
「ここは、どこなのかな……?今は、何日たったのかな?」
剣を持った少女は少し驚いた様子をしたが、すぐに返答をした。
「うん?寝ぼけてるのかな。今はレナ・フィールド歴1000年。ここは、グロマイル王国だよ」
「あはは、ごめんなさい。ちょっと頭を打ったみたいで記憶が……」
「ふむ、それならば葡萄酒でも口に含むといい。最高の気付け薬だ」
「あ、あのっ、私未成年なので!」
「みせいねん? 何かの職業か?」
「何でもないです!」
むむむむ。私は睡魔との葛藤の中で聞いた、麗奈ちゃんの話を必死に思い返していた。レナ・フィールド歴は、ほとんど西暦と一致する。
つまり、今は私たちの時代でいうところの、西暦1000年ということになる。日本だと……平安時代っ!? もしかして私、タイムスリップしてるの?
今一度、麗奈ちゃんが話していたことを思い出す。
“「それじゃあ、私はお茶を入れてくるけど、絶対にこの図書館の中にある本は読んじゃだめだからね。何度も言うようだけど、読むと大変なことになるからね!」”
なるほど。図書館にいた私がなぜこんな場所にいるのか。頭の中の点が一つずつその線を結んでいく。
「そっか、ここは本の世界なんだっ! あいたっ!」
思わず立ち上がり、存外に低かった樫の梁に頭をぶつける。とはいえ中世ファンタジーらしき世界の中にいるという感動に、心は抑えられなかった。
「はぁ……。いよいよ本当にダメみたいだね。リーナ、ちょっと見てあげて」
「あっ……」
声を出してしまったことに気が付いた私は、慌てて口を抑える。すると、柔和な表情をした、物々しい本を持った少女が現れる。出で立ちで判断するなら、多分神官とかヒーラーとか、そんな感じの人だろうか。
「うーん。身体の傷は癒せても、壊れた頭を治す術は心得ていませんね。すみません」
どうやら私のイメージは間違っていなかったらしい。彼女はとても慈悲深いアルカイックスマイルを、私の方へ向けてくる。いやちょっと、この空気感きついんですけど。
「よう。その子、起きたみたいだな」
「ちょっと。病み上がりなんだから、まだ話しかけないであげてください」
続々と集まるいかにも冒険者な面々。次に入ってきたのは赤いマントが特徴的な男性だった。
「俺の名はレイス=マクレイン。いずれ魔王殺しの叙事詩に名を連ねるものだ」
「いつも口だけは達者なようだな、レイス。私との訓練もその威勢で参加してほしいものだが」
「うぐぅ、何故か知らないが突然の腹痛が……」
「治癒魔法いります?」
「いや、いい! 多分ちょっとお腹下してるだけだから!」
そうやって勢いよく飛び出していく彼の背を目にしながら、剣の少女は大きくため息をついた。雰囲気で見れば”お姉さん”という感じなのに、顔のパーツ一つ一つが小さくてお人形さんみたいな可愛さがある。必死に小顔ローラーを使っている私がみじめなくらいだ。
「私はメイス=トリスタン。戦乙女……の見習いだ。レイスはあんな調子のやつだが腕は確かでな。彼は魔王討伐の勅令を賜っている。私たちはその同伴者という訳さ」
「お、おぉぉぉ……」
「今の感心するところだったかな……?」
某竜のクエストとかラストなファンタジーで何度も見かけた、”王道ファンタジー”の世界そのもので正直興奮した。弟から何回かゲームを取り上げて遊んだことしかないけれど。
「私も、ついていきます!」
「うん? 話をきちんと理解した? 魔王討伐の旅に出るっていってるんだけど」
「ついていきます!」
「えぇー。リーナ、どうしようこの子……」
「うーん。私に言われても、ただの法術師ですし……。レイスに聞いてみないと」
もしも本の中の話であるなら、彼……レイスは騎士王の勇者であり、仲間とともに魔王を打ち倒すはずだ。つまり、この本の世界は魔王の討伐を持って終幕する。
私はきっと、彼らの戦いを見届ける必要があるのだと。そう感じたのだ。
「やぁ、待たせた! それじゃあ俺たちは出発しようか。そこの少女、お大事に」
「ねぇ、レイス。この子が私たちのパーティーに加わりたいそうなんだが……」
「なるほど。だが魔王討伐は危険な旅になる。足手まといは困るんだ。君は一体、何ができる?」
「はい、体力に自信があるので荷物持ちができます!」
「よし、採用!」
「「ちょっと待ったぁっ!」」
各方面から突っ込みが入る。まぁ、当然の流れだとは思う。
「だって君、記憶が無くて困っているんだろう? 帰る家もわからないんじゃこのまま放置するのは酷だ。それに……女の子の頼み事なら男としては断れない!」
「た、確かに……それなら彼女の記憶が戻るまで、私たちと来る? 道中で寄った街で別れてもいいし」
「なるほどレイス、お前は結構いいやつだったんだな」
「だって俺、ハーレムなんだぜ。この状況で喜ばない訳がないだろ……痛っ!」
ぱぁんっと、小気味良い音がレイスのおしりで炸裂した。とてもいい角度の平手打ちだった。
「なっ、メイスお前、俺が痔なのを知ってて狙ったな!」
「前言撤回、ただのスケベ野郎だったな。それにレイス、お前とは古い付き合いだ。背中のほくろの数まで知っているさ」
「今度から宿に泊まるときは、レイスは馬小屋で。外側から鍵を掛けてもらいましょう」
「せめて酒場には居させてくれよ!」
レイスが役に立たないことを悟り、メイスはゆっくりと首を振って私を見据えた。その眼差しは真剣そのもで、さっきまでとは雰囲気が違う。
「ふむ……正直な話、現時点で私はお前をパーティーに入れることに賛同はできない」
「えっ……?」
「足手まといかどうかは気にしてはいない。私たちは強いからな」
「訓練生だけどね……」
「リーナはいつも一言余計だな! ……続けるぞ。だがもしも……もしもお前が死んでしまった場合、悲しむのはお前の家族だけではない。私たちも、一生後悔することになる」
重い口どりに、私は自分の置かれている状況に気が付く。麗奈ちゃんは言っていた。これは危険なことなのだと。きっとこの世界はゲームのように生易しいものではない。この世界で命を落とせば、私は二度と目覚めることはないだろう。「コンティニュー」のボタンは無いのだ。
「だから私は、お前の覚悟が見たい。いわゆる試練というやつだ」
すると彼女は私に、自身の剣を差し出した。これは一体、どういうことなのだろう。当然こんな展開はゲームで見たことはないし。そもそもこの本に私が出ているはずもなかった。
「一人の戦士として名前を聞いておこうか」
「私は七紙……じゃなくて、フリーディア。ただのフリーディアよ」
本名がこの世界で浮くからとか、そんなつもりではない。私は「フリーディア」として、この世界で生きていくことに決めたのだった。何故かそっちの方がしっくりくる……そんな奇妙な感覚も覚えながら。
「よろしくフリーディア。それじゃあちょっと付き合ったもらおうか」
言うが早いか、メイスは私を街の外へと案内したのだった。