CHAPTER A.1 私の庭に竜がいる!?

私たちの住む美咲は温かくて、だけど少しだけ変わっている。

それを具体的に説明するのは難しいのだけれど。

「ただいまー」

「あら、零名おかえり。ちょっと悪いんだけど、ケルちゃんにエサをあげてくれないかしら。お母さん、ちょっと手が離せなくて。今いいところなのよ」

確かに手が離せていないみたい……ポテチの袋から。それに、確かあれは私の部屋にあったお菓子のはずだ。だけどドラマに集中しているママを刺激するのは無謀というもの。ママがダダをこねて泣きだすと、丸2日は不貞腐れて面倒なのだ。

 

触らぬ神に祟りなし。私は素直に裏庭にエサ袋を持って行く。そう、今日の私は気分が良いのだ。なぜなら面倒な部活が休みだから!リアルタイムで『魔法少女フリキュラ』が見られるのは本当に久しぶりだ。女児向けアニメにも関わらず、メンバー同士の恋愛騒動によるドロドロとした足の引っ張り合いが面白い。前回は変身もせず、彼氏を盗った盗られたが原因で殴り合いの喧嘩が勃発したところで終わっていた。

 

「ケルちゃんー? おいでー、ご飯だよー」

鼻歌交じりでガラス戸を開くと、そこにはドラゴン?がいた。日本の龍に近い見た目をしているけど、上半身が人の形をしていているのが印象的だった。紫水晶のような瞳が怪しげに光る。あきらかにまがまがしい雰囲気のそれを見たとき、ついにストレスで視界がおかしくなったのだと思った。

「あれ? ケルちゃん、私が見ないうちにおっきくなったねー」

「GOGYAAAAAAAAA!」

なんで、私の家の庭に、ドラゴンがいるの……?

ぴしゃ。私は戸を閉めて深呼吸をした。磨りガラスではっきりとは見えないが、大きすぎる影が覆っているのは理解できる。しかし状況は全く理解できない。怖いものみたさもあり、もう一度だけ覗いてみることにした。

 

がらがら……ちらっ。

「GYAOOOOOOOOOOOO!!!」

びりびりびり。咆哮の衝撃が周囲の物に伝わり、床や壁が小刻みに震える。

「あ、えっと……お邪魔しましたぁ~」

意味もまなく愛想笑いを浮かべながら、再び鈍い音を響かせながら戸を閉めた。うん、やっぱりこの状況はヤバい。

 

「おねーちゃん、何か今凄い音がしなかった?」

弟が階段上から見下ろしてくる。帰宅後はいつもヘッドセットをつけてゲームにのめりこむのに、それを超えて聞こえてくるというのは相当なものだ。

「ごめんごめん、ちょっとごみ箱倒しちゃって掃除機かけてたの! あはははは……」

とっさにごまかしてみると、弟は怪訝な顔をして戻っていったが。近くにいるはずのママはどうやら気が付いていないみたいで、その集中力に驚かされる。

 

さて、どうしたものか。ポケットからスマホを取り出し、『KINE』にアクセスする。そして「アルケミストの伝言板」というオープンチャットを開いた。

「こういう時はっと」

そう、私の住む町「美咲区」は少しだけ変わっている。まさしく今この状況のことだ。名物もなく都心に近いだけというベッドタウンのこの町には、古の時代から時々ファンタジーな出来事が発生する。

そしてこの町にはいわゆる「魔女」が住んでいて、困った時には魔女に手紙を出せば天使が助けに来てくれるのだ。

とはいえ実際に私自身が経験したのは10年以上生きていて初めてのことだったので、にわかには信じがたい話だった。震える指で、自分の住所と状況をメッセージで書き込む。

「ピッ」

「ただいま、出動中です。命の危険がある場合には、即刻避難してください」

送信と同時にレスポンスが返ってきた。さすがにこれは危険だ、と家族に避難を促そうと思ったのだが、どうにも庭は静かな様子だった。それにこの手の事件で死傷者が出たという話は聞かない気がする。

何かあったら避難すればいいかな……? と思い立つこと30分、特に動きがないまま部屋のチャイムが鳴らされた。

「アルケミストサービスの真城麗奈(ましろうらな)です。お宅のドラゴンさんを討伐に来ましたー」

玄関を開けると、蒼い目にブロンドの髪持ったホットパンツの女の子。

 

「寒くないの?」

「急いでやってきたから、魔導のローブを着てくる暇なかったの!タクシーが経費で下りなかったから、自転車だし……。それに、あなたも似たような恰好でしょ」

 

改めて私の足元を見下ろしてみると、黒いシャツに白い薄手の上着にホットパンツという出で立ち。ちなみに今の季節は3月下旬。暖かくなってきたとはいえ、空気はまだ冷たい。

 

「いやほら、末端神経に布がついてると動きづらいじゃない? いざというときのために、ね?」

ぶんぶんと腕を振るって見せる。力こぶとか無いけれど。

「あなたは剣闘士(グラディエーター)か何かですか?」

「現代日本でどうしてその発想に至るのよ……」

 

真白麗奈と名乗った少女は客間できっちりとお茶を一杯飲み干した後、問題のドラゴンと対峙した。

 

「あぁー。これまずいやつですね。もう少し遅かったら次元障壁を突き破って暴れてましたよ。この街くらいなら簡単に滅ぶと思います」

「さらっと怖いこと言わないで」

 

あっさりとしているが、この街の命運がかかっている緊急事態らしい。そこまで聞いて初めて私は顔を青くした。

 

「GYAOOOOOOOOON!!!」

竜は威嚇する咆哮を放つ。真白は全く動じないどころか、自信満々にすら感じられた。少し抜けているように感じたが、これが魔女。思わず息を呑む。

 

「少女よ、覚えておきなさい。私の名前は、真城麗奈。究極の魔法使いよ」

 

彼女はブロンドの髪をなびかせ、腰につけたケースから、5枚のカードを取り出す。あのカードが、彼女の魔法を使うためのアイテムなのだろうか。私はテレビの魔法少女『フリキュラ』のシーンを思い出す。そうだ、あのカードを使って、契約の名の下に暴勇なる魔獣ケルベロスを呼び出すのだろう……!

 

——―そして彼女は紡ぎだす。一枚のカードに想いを込めて。

 

「星の力を……」

「ぱくぅっ!」

「あーれー」

 

彼女の発した詠唱は、情けない声で中断された。……私の目の前でドラゴンが満足げな表情を浮かべている。

 

「……って喰われてるーっ!?」

 

ワンテンポ遅れて私は状況を理解した。ふとドラゴンと目が合う。

 

「GRRRRRRRR……GYAAAAAAAA!」

今までに微動だにしなかったドラゴンがついに動き出した。麗奈を食べたことで力が付いたのか。最初に見たときよりも遥かに凶暴性が増している。

 

「い……嫌……」

 

私にできることなど何もない。あくまで女子中学生でしかない私には、この状況を打開することなんてできない。パニックになりかけたが、ふと我に返り叫び声を喉元でぐっとこらえた。

 

今すぐ逃げ出したい気持ちでいっぱいだったのに、心の奥底で「立ち向かえ」と囁かれているような気がしたのだ。家の中にはまだ弟とママがいるのを思い出し、少しだけ理性を取り戻す。少しだけでも時間を稼ごう。そう決意した私は。

 

「とりあえず何か当たれぇっ!」

 

手当たり次第に掴めるものをドラゴンに投げまくった。洗剤、じょうろ、ペットの餌……。当然そんなものでひるむことはなく、ドラゴンは私に向かってくる。

 

もうダメだ。そう思った瞬間、投げ付けたものの一つが突如輝きだした。それは、真城ちゃんが食べられたときに散らかったあのカードだった。

 

あまりの光量に目がくらむ。手のひらを眼前にかざしながら様子をうかがうと、そこには精悍な顔立ちの青年が立っていた。まるで絵本の世界から抜け出したような、ファンタジーに出てくるような白金の鎧に身を包む騎士。それが私とドラゴンの間に立ち塞がっていた。

会ったこともないはずなのに、何故か心に暖かなものがこみあげてくる。どこか懐かしい感じがして、私の視界がゆがんだ。

 

「あれ、なんで私泣いているんだろう……」

 

騎士は私の方を向くとニコリと微笑むと、すぐに険しい表情を戻した。青白く輝く剣を掲げて、ドラゴンに対峙する。

 

———斬。

放たれた最初の剣戟が、ドラゴンの足を止めた。

 

———斬。

 

続けざまに二度目の剣先が、堅牢な鱗を破壊する。

 

——―斬っ!

 

三度目……最後の一太刀が急所を捉えて、致命的なダメージを与えた。断末魔すら発することができないまま、ドラゴンは崩れ落ちる。

 

そして静かに剣を納めると、何事もなかったかのように騎士は佇んでいた。

 

「す、すごい……」

「果てなき時を超えて、今こそ……」

 

そう言い残して、騎士は一筋の光の中に消えていった。

 

「うへえ、気持ち悪い。ベタベタする」

 

ドラゴンが虚空に消えると、そこにはヨダレでベタベタになった真城ちゃんが倒れていた。正直触りたくはなかったけれど、彼女に肩を貸した。

 

「真城ちゃん、大丈夫……?」

 

うまく言葉が発せないのか、私の質問に親指を立てて応える。無事を確認した私は、慌ててバスタオルを持ってきた。

 

「えっと、助けてくれてありがとう。すごくイケメンな騎士だったよ」

 

そう。私の目の前で実際に騎士が召喚されたのだ。真城ちゃんは本物の魔女だった。

 

「……何言ってるの?」

 

興奮気味の私に、真城ちゃんはきょとんとした様子で首をかしげる。

 

「『私』じゃなくて、『あなた』が倒したのよ。魔法使いさん?」

「え……どういうこと?」

 

真城ちゃんんが指さす私のポケットの中には、一枚のカードが入っていた。『時空竜スフィアドラゴン』と題されたそのカードには、先ほど私たちを襲ったドラゴンの姿があった。

 

「カードを手に入れたってことは、あなたが倒したことの証なの。あなた、魔法使いだったのね。あるいは、その才能がある少女か……。名前を聞いてもいいかしら?」

「私の名前は、七紙零名」

「名無しの零名……?呼びにくい名前ね」

「言わないでよ。結構気にしてるんだから」

 

その手のいじりは過去に何度かあった。むしゃくしゃして試験の名前を空欄で提出したら、普通に返却されたこともある。

 

「うーん……面倒ね、あなたのことはフリーディアって呼ぶわ。『名前のない魔法少女』という意味よ。来なさい。魔法少女フリーディア。私の無限図書館に案内するわ」

「ちょっと勝手に決めないでよ!」

とはいえフリーディアという名前はちょっとかっこいいと思ってしまった。確かその名前は『魔法少女フリキュラ』にも登場する。作中の彼女は、魔法少女の中でも伝説の存在だった。

「あ、でも徒歩だとちょっと遠いから、自転車でついてきてね」

すっかり調子を取り戻した真城ちゃんは、ママチャリにまたがっていった。

「魔法使いなのに自転車なのっ!?」

 

こうして、私は魔法使いの少女「真城」に出会ったのだった。ちなみに、ナナシじゃなくて、ナガミなんだけど……。そう説明しても、彼女は聞いてくれなかった。

 

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