「よく来たわね。歓迎するわ」
麗奈ちゃんが立ち止まり、指を差す。そこは郊外にある大きなお屋敷だった。でも、これって……。私はこの屋敷がにまつわる噂をいくつか聞いていた。
「私ここ知ってるかも。幽霊屋敷じゃない。よく学校で噂になってる」
噂によれば誰が訪れても扉が開くことはなく、まるで人の気配を感じられないらしい。にもかかわらず深夜になると時折窓に怪しげな光を放っており、その中に薄っすらと人影が見えるという。
「え? そうなの……? や、やめてよ! 私お化けとかそういうの苦手なんだからっ!」
ぞくりと走る寒気に、麗奈ちゃんは思わず身震いしていた。もしかしたら、半袖でただ寒いだけなのかもしれないけれど。魔女なのに、という突っ込みは無しにした。職業差別問題に繋がってしまうからだ。
(そういえば、私これアルバイトなのかな……)
所在なく雇用形態について考えていると、しばらくして重たく擦れる音が地鳴りのように響いた。
「さぁ、こちらへ」
初めて屋敷に足を踏み入れた時、そのかび臭さに思わず顔をしかめた。よく見ればほこりの被っていない綺麗な道ができあがっており、その先で息を切らした麗奈ちゃんが手招きをしている。
どうやら先ほどの異音は、重い棚が横に動いた音だったらしい。まるで私たちを飲み込むように、隠し通路にはぽっかりと穴が開いていた。
「毎回手動で大変そう」
「せ、セキュリティの問題よ!」
「本当は私じゃ魔法陣で動かせないからなんだけど」という呟きも聞こえていたが、スルーした。真城ちゃんはあんまり強く言いすぎると、泣き出してしまいそうな雰囲気があった。
中は区民ホールのように開けていて、ドーム型の天井には星空が描かれている。そしてまるで永遠に続くかのような通路の両端にはずらりと本棚が並んでいた。
「ここは……図書館?」
「そう、無限図書館っていうの。私の家系の一族が記録してきた全ての魔術と歴史がここに残っている」
図書館に間違いはないけれど。私はどこか違和感を覚えた。ひんやりとした重い空気が、どちらかといえば墓場を想起させたからだ。
「フリーディア、あなたが考えていることはきっと、半分は正解よ。読まれることのない知識は、埋葬された死体と同じ。気を付けてね。全て禁書だから、常人なら読んだだけで発狂するわよ」
麗奈ちゃんはどこからともなく椅子を取り出してきて、座るよう勧める。
「えっと、何をするつもり? ……眼鏡?」
柔和な顔に突然眼鏡をかけ始めると、麗奈ちゃんはブリッジをくいくいっと中指で押し上げた。少しだけ知的に感じるが、ドヤ顔のままの彼女はやはり子供っぽい。
「さぁフリーディア。授業の時間よ?」
前々からやんわりとは思っていたが、この真城麗奈という少女は割とめんどくさそうな性格のようだった。
*
やけに針の音が大きく聞こえる。図書館の中央を大きく占める柱時計は、既に短針を2つほど進めていた。
麗奈ちゃんは、話好きらしい。私が図書館に訪れてからまる2時間、ずっと喋り続けていた。水を一口も飲まず休憩も取らず。まくしたてるように話し続ける彼女はすごい。そして、そんな長話を死んだ魚の目で聞き続けている私もすごい。
どうも話を聞くと、一族のしきたりに従いほとんどお屋敷の中からは出ないらしい。屋敷が荒れ放題になっていたのは、広すぎて段々と管理が面倒になってしまったようだ。この図書館の中だけで生活できることに気づいた彼女は、そのうちこの場所以外の管理をしなくなっていった。
「料理くらい、しても罰は当たらないと思うんだけど」
「現代社会にはセ〇ンもファミ〇もあるのよ。最近のコンビニ弁当は味だって進化しているんだから」
「ご先祖様が聞いたら泣くわね……」
その発言に、麗奈ちゃんは顔をしかめた。
「そこにばっかり喰いつかないで、ちゃんと話を聞きなさいな。私の私生活なんて、関係ないんだから! 大体、あなたには両親も弟もいるんでしょう?」
あぁ、と私は自分が偉そうに指摘したことを後悔した。確かに自炊はよくやっているが、それは毎日ではない。掃除や買い物を自分から進んでやったこともない。
孤独……。真城ちゃんには当然のことをやってくれる人は誰もいないのだ。力なく美しい碧眼に目を合わせると、彼女自身語気を荒げていたことに動揺を隠せないようだった。
しばらくの沈黙が訪れ、やがて耐えられなくなった私が先に咳ばらいをして続けた。
「そうね。ごめんなさい。話を戻すわ。にわかには信じられないんだけど。魔法の国が本当に実在したっていうの?」
かつて世界には1000年前に「魔女」と呼ばれる存在がいて、地球の世界地図上から隠された地方、魔法の国「レナ・フィールド」で繁栄を極めていたらしい。その魔女の血筋の末裔が、アルケミストの魔女こと真城麗奈だった。
私は歴史の教科書でそんな話を聞いたことはない。でも嘘を言っているようにも思えなかった。
「信じるか信じないかはあなた次第。だけど、もうとっくにあなたは非日常をその身で体験している。違うかしら?」
ポケットから一枚のカードを取り出す。「時空竜スフィアドラゴン」と記述されたそれは、さっきの戦いで手に入れたものだ。全部、嘘じゃなかった。
「それで、結局私はどうしたらいいの?」
「やっと乗り気になってくれたわね。それじゃあまずは魔女の年表から解説するわ! まずはね、空の世界に住む天界人が天使『ルシフェル』を作り出したの。それで……」
「いや、もっとざっくり説明してほしいんだけど……」
さらにまる2時間、麗奈ちゃんはしゃべりっぱなしだった。一度熱が入ってしまうと、彼女は話を聞かないらしい。
「それじゃあ、私はお茶を入れてくるけど、絶対にこの図書館の中にある本は読んじゃだめだからね。何度も言うようだけど、読むと大変なことになるからね!」
上から目線で話しているが、身長が低いせいでどうしても私を見上げる形になる。そのため本を取るための台に乗って、わざわざ見下ろそうとするのだ。麗奈ちゃんのその挙動が、どこかかわいらしくて憎めなかった。
気が付けば時計は18時を回っていた。一女子中学生の私は、流石にもう帰らないとママに心配されてしまう。こんなとき、男子だったら楽なのにと思わずにはいられない。
もうそろそろ帰らないといけない。しかしその時、背後から私の頬を暖かい風がすり抜けていった。
「え……今のは一体……」
うすら寒く感じるこの空間は四方を壁に囲まれていて、窓一つなかった。一応、空調設備は後で取り付けたらしいけれど。今はそれらが動作している様子はない。
その正体を探るべく、私は暖かい風の発生源へ顔を向けた。もちろん送風機などではない。私の背後には書籍が隙間なく埋められている本棚だけだった。
「もしかして、真城ちゃんの本なの?」
しゅーっと何かが焦げ付く臭いがして、一冊の本のタイトルが煌々と燃えていた。本のタイトルは「煉獄の王国魔女ナルシア」。
私が好きないわゆる中世ものの本のようだ。アルケミストの魔女は本を読んではいけないと言っていたけど、どういうわけか「読みたい」という衝動を抑えられなかった。そして帰ってこない彼女に悪戯をして、怒った顔をちょっと見てみたいというのもあった。
「少しくらい、開いて目次を見ても構わないよね?」
正体を知りたくなった私は引き寄せられるように本を開いて、ページをめくり始めた。